■ 絨毯の豆知識

絨毯の豆知識コーナーでは、ペルシャ絨毯のいろはを紹介します。

■ ペルシャ絨毯の産地

ペルシャ絨毯の産地とは言っても、昔からイランのほぼ全土で絨毯の生産は行われています。山脈や砂漠、平原など様々な土地環境に応じて、その形状や文様、色使いに特徴が出てきたと言ってもいいでしょう。今ではその産地名で絨毯は取引され、産地名を言えばその地の有名工房からだいたいの色合いまでを想像できます。


専門書を開けば、細かくは何十もの産地があげられることと思いますが、ここでは代表的
な産地について簡単に説明します。

イスファハーン (Isfahan)

イラン高原中央部に位置する古都イスファハーンは、テヘランの南約340kmに位置し、
イランで3番目に大きい都市です。


その歴史は古く、1597年、シャー・アッバース帝の治世に都が遷されて、イスファハーン
旧市街の郊外に王宮を中心に庭園に囲まれた新都が造営され、またザーヤンデルード川の豊富な水量に支えられた周辺地域の農業生産力と、イラン高原北部とイラク、ペルシア湾岸の港湾都市地域を結ぶ交通の要衝として発展を続けてゆきました。

有名なイマーム・モスクなどがあるイマーム広場は、ユネスコにより世界遺産に登録されています。街の急発展と共に絨毯の製造も盛んになり、沢山の工房が作られました。

 

宮廷内に併設された工房でも盛んに絨毯が織られ、この絨毯をポロネーズ絨毯と読んでいます。絹と金糸で出来ていたとされるそれらの絨毯は、主に外国の王族や高官の贈り物にされていました。


1925年にパフラヴィー朝で都市の復興が開始されて後、絨毯産業も再び発展し、近代ペルシャ絨毯の制作が始まり、現在も熟練した織り手により伝統は守られ、グレードの高い絹の地糸に羊毛のパイルを用いた美しい絨毯が製作され、数多くの工房が活躍しています。

カーシャーン(Kashan)

カーシャーンはテヘランの南約300kmイスファハーン州にある都市で、水が少なく気候も
厳しい乾燥気候だったために、古くから工芸の街として発展し、タイルや陶器、絹織物が
つくられていました。

現在ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に保存されている、完全な形で現存している最古の絨毯「アルデビル絨毯」は、カーシャーンで制作されたとされています。

 

絹のペルシャ絨毯としてはクムも有名ですが、絹織物としての歴史はカーシャーンが古く、19世紀末から20世紀初めにかけて数多くのシルク絨毯が織られました。

 

カーシャーンの絨毯はいろいろと改良されることはなく、昔からの色使いや文様がそのまま残っていて、菱形メダリオンの伝統的なラチャク・トランジや全面アラベスクのアフシャーンなどが中心です。


なかでも白を基調にした絨毯は大変美しく、ホワイトカーシャーンと呼ばれています。

ナイン(Nain)

ナインはイラン中央部に位置するオアシスの町で、モスクやメッカの方向を示すとされる
モスクの重要な施設であるメフラーブ(コーランの文句や唐草文様が刻まれている漆喰作りのレリーフ)、14世紀のミンバル(説教壇)を有するマスジュデ・ジャーメ(金曜寺院)
でも有名な都市です。


かつてはウール布の産地として有名で、アバスと呼ばれる伝統衣装を製造していましたが、西洋からの衣装に取って代わり、また1920年代に機械織りの氾濫と共にウール産業も衰退、それを期にナインの工房や伝統衣装の織物職人たちは絨毯産業へと転換を図ります。

白い絹でモチーフの輪郭を取るその独特な技法や繊細な技術で、ナインの絨毯は世界に知られる絨毯産地となりました。良質な絨毯はイスファハーン同様に、縦糸に絹糸を使用することが多いようです。


ナインの絨毯はクリームベージュ系の地色が多く、ブルー、グリーン、レッドで細かい文様を描き、とても明るく落ち着いた絨毯です。

クム (Qom)
クムはテヘランから南に約120kmの位置にあり、その昔はゾロアスター教の聖地でしたが、十二イマーム派の第8代イマームであるイマーム・レザーの妹ファーティマ(ファーテメ)が祀られることによって、シーア派の重要な聖地となりました。


この敬虔なイスラム教徒の街で絨毯産業が興ったのは比較的新しく、1930年代にカーシャーンの技術指導を受け技法を習得したことから発展します。

当初はカーシャーン、イスファハーン、セネなどのデザインを借用してウールの絨毯も織
られていましたが、1960年代に部分的に絹糸を使用したものが出始め、その後本格的にオールシルクの絨毯の製造が始まり、瞬く間にヨーロッパでクムの人気が高まりました。
信仰の厚い地域ゆえ文様やデザインも斬新なものが多く、シルク独特の質感に合って素晴らしい織物となっており、有名工房も数多く存在しています。

タブリーズ (Tabriz)

タブリーズはテヘランから約600kmにあるイラン北西部の標高1,360mに位置する高原都市
で、パルティアの時代にアルメニアの王によって建設されました。
タブリーズの名は、紀元前297年にティリダテス3世によってアルメニア王国の首都とされ
た際、王の名に因んでタウリス(Tauris)と呼ばれたことに由来します。

歴史の古い街であるにもかかわらず、地震活動の活発な地域であることから、歴史的な遺産はあまり残っていません。

 

夏は涼しいけれど冬は寒く厚い雪で覆われてしまう厳しい気候にあるタブリーズは、17世紀以来最も主要な絨毯の生産地であると言えます。古くから東西交通の重要な位置であることからヨーロッパ交易の要衝であり、19世紀にはイラン商業の中心地として、タブリーズ商人の絨毯産業は飛躍的に発展します。

 

輸出用の絨毯が主となり、職人は男性で特別な鉤針を用いるため、力強く整然としたきれいな仕上りがタブリーズ絨毯の特徴です。

 

文様はヘラティ(マヒ)やメダリオンが中心、絵画調の絨毯製造を最も得意とする工房があるのも有名です。

ケルマーン (Kerman)

イラン南東部にあって面積はイラン第三位、都市部の人口のうちケルマーンが80%を占めこの地域で最も発達した大都市であり、また人々が住み着いたのは紀元前第四千年紀というイランでも歴史の古い地域の一つです。

 

歴史的遺跡も数多くあり、ジーロフト遺跡などは考古学的に紀元前2500年ころのものと判明しています。

高原都市ゆえ作物が望めない不毛の地であることから、織物や刺繍などの工芸が発展してきました。

 

古くからショールの産地として名高く、カシミールと並び18~19世紀にかけてヨーロッパで大人気となりますが、19世紀末に衰退、職人たちがショール織りで培った繊細な技術とデザイン感覚をもって大転職します。

 

当時のケルマーンはさまざまな絨毯が意欲的に制作されており、20世紀になると英米の絨毯会社がケルマーンにオフィスを設立するなど、絨毯産業は発展を遂げました。荒涼とした景観への反動からかライトイエロー地にチェリーレッドの美しい花の文様の絨毯が数多くみられ、これはアメリカ市場向けのデザインではないかとも言われています。