日本の中のペルシャ絨毯


日本へは、ペルシャ帝国と地続きになっているヨーロッパからシルクロードを経て、安土桃山時代に中国から入ったとされていますが、絨毯に関する最も古い文献では「魏志倭人伝」の中に、「魏の明帝が邪馬台国の女王卑弥呼に朝貢の答礼として、絨毯と思われる敷物を贈った」と記されています。
また遣唐使によってもたらされた工芸品の中には、花氈(かせん)と呼ばれる美しいフェルトが含まれ、今も正倉院宝物として残されています。
 
絨毯が本格的に入って来たのは17世紀以降で、豪商たちの間で異国の文物として好んで買い求められたといわれます。

 

 

また、派手な文様や配色を好んだ豊臣秀吉が、美しいペルシャ絨毯に魅せられて、身にまとう為に裁断し陣羽織としていたのも有名で、今も京都の高台寺に保存されています。

 

京都の祇園祭の山鉾を飾る懸装などには、17世紀頃に伝えられたとされる絨毯が見つかっています。


山鉾を飾るその絨毯は昔、南観音山で使用されていたものですが、入手の詳しいルートは分かっていません。

日本の中でも京都には大変数多くのペルシャ絨毯が残されています。
敷物というよりは掛装として用いられてきたため傷みが少なく、保存状態が大変素晴らしいことから、世界的にも貴重な文化遺産として注目されているのです。